【発達障害】アスペルガーの私ができること、できないこと

私は今から半年ほど前に

発達障害であるとの診断を受けました。

発達障害であると診断を受けるまでは

日ごろから感じる”生きづらさ”は

全て自分の性格のせいで、

努力すれば何とかなるものと思っていました。

しかし、

いくら頑張れど

どうにもならないものは

どうにもならないということを悟り、

今では自分を周りに合わせるのではなく

「いかに自分らしさを出して生きるか」

課題にしています。

そこで今回は

アスペルガーと分かった今、

過去を振り返ってみて

自分にできたこと、できなかったことについて

まとめてみたいと思います。

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発達障害 私の特徴はこんな感じ

今回は

これまでの自分を振り返り、

仕事や学校などの社会生活において

どう頑張ってもできなかったこと

(もしくは困難を抱えていたこと)、

逆に、

障害だとわかったからこそできたことについて

お伝えします。

その中で、

発達障害(私の場合はASDというタイプ)の

特徴について触れていけたらと思います。

ただ、

同じ発達障害を抱えていても

性格が人それぞれ違うのと同じように、

人によって障害の特性は様々です。

なので、

私にはできないと感じることでも

他の人にはできたり、

逆に私にはできることが

他の人にとっては困難だと感じることは

たくさんあると思います。

なので今回のことも

「へぇ~」と思ってみていただければと思います。

私にはできなかったこと

無理のない人間関係を築く

アスペルガーの場合

コミュニケーションの障害ともいわれており、

対人関係やコミュニケーションをとるうえで

困難を感じる場面が多くあるといいます。

私の場合もまさにその通りで、

中学に入学したあたりから

コミュニケーションの苦手を

意識し始めました。

人と接するときに

どんな問題があるかというと、

まず

会話を楽しめないということ。

友達同士で何か話をしていても

どのタイミングで話に入ればいいかもわからないし、

何をコメントすればいいかもわからない時が多くありました。

そのため一生懸命

友達の輪に馴染もうと頑張っていた

中学・高校のころは常に、

「…いったい何を言えばいいんだ…」と、

心の中は焦った状態にも関わらず

顔はにこにこ表情をキープしていたので、

超絶疲れました…(笑)

ただ、

時と場合によっては

いつもは緊張して何も話せないメンバーとでも

楽しく話せるときもあったり、

逆に、いつもは

緊張せずに安心して話せる相手でも

発言するタイミングがつかめなかったり

言いたい言葉が浮かんでこないということもありました。

そのため、

友達と遊ぶときや

雑談をすると予想されるときには、

何かの試合に挑む前のスポーツ選手のように

念入りなイメトレ(会話のw)と、

「今日はうまくいきますように…」

といった願掛けをして

家を出たのを覚えています。

こんな生活を続けていたものだから

いつしか私は

自分が思ったことや感じたことではなく、

一緒に話している相手が

言われて喜びそうなことを

想像して会話をするようになりました。

私が子供のころは今ほど多様性が認められていなかったように思います。

なので私の中では、

明るい人、よくしゃべる人、だれとでも仲良くできる人

が、クラスの人気者になれて

そういう人になるべきなんだ!

と、思っていました。

そのため、

そういった理想の人間像とはかけ離れた

会話ができない、

話が続かない、

グループの輪の中になじめない、

そんな自分自身に対して

いつもみじめな気分でいっぱいでした。

「もっと明るくならなきゃ…!」

「今日はうまくしゃべるぞ!」

「根暗だと思われたくない…!」

こんな感じに

自分を認めることよりも

抑えつけることばかりを考えていたため、

発達障害の特性として

”コミュニケーションの苦手”があげられているのを知ったときは、

衝撃を受けたのを覚えています。

「私の努力が足らないせいではなかったのか…!」と。

▼あせて読みたい▼

ストレスに負けない!メンタルヘルスが大切な理由と私のセルフケア方法

あいまいなニュアンスを理解すること

私はこれまで

食品工場や機械メーカーの工場で

製品検査の仕事をしてきました。

検査の仕事をする中で、

明らかにこれは不良品だろうと

わかるものならばよいのですが、

オッケーといえばオッケー、

ダメといえばダメという

微妙なものに当たってしまったときに

判断に困っていたのを覚えています。

例えばお菓子の工場で働いていた時に、

パッケージングされたお菓子の中に

ゴミが入っていないかどうかの検査をしていた時、

細かいことにも気づいてしまう私は

小さなほこりくらいの異物にも気づいてしまいます。

そういったものも

全部不良品にしていいならば

何も悩むことはないのですが、

「このくらいはいいよ~」と言われてしまうと

どの程度まで許されて、どの程度は

不良品として出すべきなのかを判断できずに

しばらくその場で立ち尽くして

商品とにらめっこ…なんてことが

よくありました。

アスペルガーの方ならば

共感していただけるかもしれませんが、

「このくらい大丈夫だよ~」のこのくらいって、

どのくらいですか…?(汗)ってな感じに、

あいまいなニュアンスがわからなかったわけです。

一つの会社で働き続けるということ

私は社会人になってから

転職を8回ほど繰り返してきました。

周りを見渡してみても

なかなか自分と同等以上に

仕事を変えている人がいないので、

転職に関しては多いほうだなと思っています。

私が主に行ってきた仕事

というのが工場での単純作業です。

人とコミュニケーションをとるのが苦手

という部分を自覚していたため、

接客業は向かないと思い

話をする機会の少ない

単純作業を選んで仕事をしてきたわけです。

しかし、

そういった単調な仕事というのは

すぐに飽きてしまい、

一日中続けるのが

苦痛で仕方ありませんでした。

それでも

”工場の仕事は自分に合っているはず”

という思い込みと、

「仕事があるだけありがたい」

「みんなしんどい中で頑張っている」

このように考えて頑張ってきましたが、

5年ほどの間に

いくつかの工場を渡り歩く中で

工場の仕事は自分に合わないということに気づきました。

その後は

オフィスワーク中心に

コールセンター業務や

以前から興味があった

プログラマーの仕事に

就いてきました。

色々な仕事を経験してきて、

どの仕事も結局は

しんどくなってしまう…

というのが悩みではあったのですが、

特に決定的なものになったのが

プログラマーの仕事です。

私はこれまで手に職をつけようと

Webデザインやプログラミングの

勉強をしてきました。

工場で働いているときは

「スキルを身につけてこの退屈な日々からいつか脱却したい」

そういった思いだけを励みに、

勉強と仕事の両立を頑張っていました。

プログラミング自体は

スクールで学んでいて

楽しいな~と感じていたので、

苦にならずに勉強することができました。

なので、

プログラマーの仕事を得ることができた時も

「こりゃ天職に違いない!ラッキー!!」と

まさに人生の下克上を果たしたような思いでした。

しかし、

この仕事も長くは続かず

半年ほどで辞めてしまいました。

仕事自体は

これまでの単純作業とは真逆で

自分で考えて行う仕事もありましたし、

このまま続けていけば

目標としていた

手に職をつけることもできる!

と感じていました。

では一体、

何が弊害となり

仕事を辞めるに至ったのかというと、

来る日も来る日も

朝早くから夜までの長い間、

”仕事”というイベントに

時間を費やすということに対して

猛烈な不安を感じていたことに気づいたのです。

よく、日曜夕方18:30~の

サザエさんが始まると

憂うつな気分になってしまう

サラリーマンが大勢いるといいますが、

私は月~金で働いていた時は

土曜日の夜には憂うつな気分に

襲われていました。

「みんなそんなもんだよ~」と言われてしまえばそれまでですが、

私にとっては

耐えがたい事だったのです。

一生懸命働いても

ちょっと休めばまた8時間の拘束が待っている…。

限られた人生の中で

”時間”というのはかけがえのないもの

だと思います。

仕事をすることで

かけがえのない時間を無駄にしている

とまでは思いませんが、

”時間が早く過ぎてほしい”

このように願いながら10年以上の

年月を生きてきたため、

そろそろ今を大切に生きていきたい

そのように思うようになりました。

また、

コミュニケーションや対人関係が

苦手という部分から、

常に職場の人の顔色をうかがい

びくびくしながら毎日を送る

という生活にも

精神的に限界を感じるようになりました。

そういったもろもろのことがあり、

工場に勤めていた時には

単純作業が向いていないだけ

と思っていたのですが、

そもそも会社に属して働く

ということ自体が

私には合っていないんだなと

実感することとなったのです。

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障害があったからこそできたこと

普通の人にはなんてことのない事でも

私にとっては「無理でしょ…!」と

感じることは、

先ほど述べた以外にも多々あります。

しかし、

それとは逆に

障害があったからこそできた

と感じることも、

これまでの人生を振り返る中で

たくさんあります。

海外へ行く

これまで工場や会社で働いてきて、

微妙な判断に迷ったり、

台風が来ても雪が降っても

週5日、一日8時間まじめに

働き続けたり、

ちょっとした間違いも

仕事においては許されない

という空気感の中で生活を続けていると

もうちょっと肩の力を抜いた人生を送りたい…

そう思うようになりました。

聞くところによると、

日本は世界の中でも

労働時間が長いという話を

よく聞きます。

また、

お客様は神様&おもてなし文化がある日本では

神経質なくらい

完璧なサービスを提供してくれます。

なので、

日本から出て海外へ行けば

これほどまでに完璧に生きなくても

いいんじゃないの?

外国の人ってどんな風に生活してるんだろう?

そんな疑問というか、

好奇心が私の中にわいてきたのです。

長時間労働が問題になっている日本、

出る杭は打たれる風習のある日本、

”常識”が行き過ぎている日本、

日本の長所でもある

モラルであったり几帳面な部分は

ちょっと人とは違う部分がある私にとっては

”生きづらさ”として

重くのしかかってくるのです。

そういった

がっちがちに固められた

”常識”という概念をぶっ壊すために、

私は約1年半の間

日本を離れることにしたのです。

これまで海外旅行さえもしたことがない私にとって、

初めて訪れる国の風景、文化は新鮮でした。

最初に訪れたフィリピンでは、

3車線の道路に

なぜか4台車が並んで走っていました。

スーパーのレジ係のお姉ちゃんや

クリーニング屋のおばさん、

レストランのウェイターなど、

みんな愛想が悪かったです(笑)

次に訪れたオーストラリアでは、

ドラッグストアの店員さん(若い女の子)は

人目を気にせずあぐらをかいて品出しをしています。

セルフレジの使い方を間違えて

店員から説教されたこともあります。

仕事中にも関わらず

ある駅員は平気でナンパしてきます。

完璧すぎる日本に比べると

残念な部分は数多くありますが(笑)、

自分が正しいと思ったことは

恥ずかしがる様子もなく

堂々と行っている人もたくさんいました。

バスでおばあさんが乗ってきたら

運転手さんが大きな声で

「だれか席譲って~!」と言うし、

荷物を持って降りようとする老人がいたら

後ろの方の席から気づいた人が走って助けに行く姿も。

こういった海外の

ゆる~くて自由な空気感を味わったことで、

”常識”と呼ばれるものに

無理に合わせなくてもいいんだ!

と思うことができました。

もし私がコミュ力もあって

仕事もバリバリできるような人間で

障害の特性もなく日常生活で思い悩むことがなかったとしたら、

先ほどお伝えした

日本と海外の違う部分がここまで

印象に残ることもなかっただろうし、

そもそも旅行以外で

海外へ行こうなんて思わなかったと思います。

というより、

人生うまくいっていたら

実家のある街から出ることも

なかったことでしょう。

「この生きづらさは何なんだ…」

「もっと自由に行きたい!」

そう思ったからこそ

未知の経験をすることができたと

思っています。

▼併せて読みたい▼

とはいえ楽しい事ばかりではなかった海外生活…私のワーホリ失敗談

普通じゃない人生を歩む決意

新卒で正社員を逃した(というより自ら就職は選ばなかった…)私は、

その後正社員になって

安定した人生を送るべく

必至で努力を続けていました。

しかし、

先ほども述べた通り私には

”会社で働く”ということが

合っていないということに

気づいてしまいました。

それと同時に、

これまで対人関係や

仕事上でうまくいかないと感じてきた部分が、

努力が足らないせいではないと

気づいてからは、

周りに合わせるのではなく

自分に合った生き方を見つけるのが

今後私が目指すこと

だと思うようになったのです。

なので、

30歳にして初めてゲットした

念願の正社員の仕事も辞めました。

職場の上司や先輩方も優しかったですし

給料も十分もらえていました。

IT系の仕事でしたが

残業はほとんどなく、

ボーナスもしっかりもらえる

ということで、

私にはもったいないくらい

良い会社だったのですが、

私にはそこで仕事を続けるのは

無理だったわけです。

”安定”をとるか

”精神的自由”をとるか。

どちらをとるかは迷いましたが、

私は後者をとる決断をしました。

会社を辞めてから3カ月ほどたった今、

あらたに選んだ仕事は

回転寿司屋のバイトです。

都内一人暮らしをする上で

時給1000円のバイトで生計を立てるのは

正直ギリギリライン…。

東京ですから探せば他に

いくらでもお給料のよい仕事はありました。

実際に時給1400円のコールセンターの

お仕事も採用してもらったのですが、

私はあえて

回転寿司のバイトを選んだのです。

寿司屋でバイトするに至った経緯については、

また機会を改めて

お話ししたいと思いますが、

今まで自分の中に抱いてきた

”普通”という概念を取っ払って

今後の道を選ぶことができたのも、

自分が持つ障害を通して

自分自身と向き合うことができたからだと思っています。

できることにフォーカスして自分を信じる

発達障害はできることとできないことの

凸凹があると言われています。

仕事や学校などで社会生活を送っていると

どうしてもできない部分に目がいってしまい

自分を責めたり悩んでしまうことも多くなりがちです。

そのため私は

これまでの人生の中で

人付き合いや仕事の選び方など、

いかにできないことを避けて生きるか

を考えて生きてきました。

しかし、

逃げれば逃げるほど

新たにできないことばかりが

目の前に立ちはだかってきて、

自分のできないことリストが増えていくばかり…。

でも今回、

自分にもできたことについて

改めて考えてみると

そこから得た経験や決断というのは

たくさんあるできないことを

覆すくらい大きな意味を

私の人生に与えてくれました。

なので

これまでは下を向いて歩く人生でしたが、

”普通と呼ばれるもの”から脱却し

自分らしく生きていく決断をしたこれからは

前を向いて人生を歩んでいきたいと思います。

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