同じ仕事でも、はじめから自分で段取って自分のペースでできればストレスもなくハイスピードでできるけど、誰かと一緒に作業したり雑な感じで途中からポジション変更されるとペースが乱れる。
— 由紀子 (@HarukaruH) December 29, 2018
時に自分以外の人には
理解不能なことで悩むことが多かった
私の人生三十余年。
挨拶のタイミング、
いつもの仲間以外の人との
コミュニケーションの取り方、
イレギュラーな事態への対応など
独特のこだわりとプライド、
そして劣等感と共に
これまでの人生を歩んできました。
普通の人であれば簡単にできることでも
私には困難を極めたり、
時に自分でも理解不能な
行動をとることにも悩まされていました。
ただ、
私はほかの人間の人生を生きたことがないわけで
自分しか知らないわけです。
なので、
みんなこういうものなのだ
みんなが克服できているのだから
私だってできるはず
そう思って生きてきました。
だから、
今まで自分の
社会不適応具合が
まさか障害によるものだとは
思いもよりませんでした。
病院でASDである
との診断を受けた時には
「私の努力が足りないだけじゃなかったんだ…!」
このように自分の中で
拍手喝采が巻き起こったのを覚えています。
この事実だけでも驚きだったのですが、
ここ最近自分の人生の中で
第二の旋風が訪れました。
私はこれまで
普通に学校にも通っていたし、
うつ病やパニック障害を途中で患ったものの
仕事もフルタイムで行えていた。
なので、
「いわゆるグレーゾーンってやつだな…私は。」
このように思っていました。
ただ、
どうやらそうではなく
私のこだわりや生きづらさから察するに
軽度~中度レベルの
発達障害だということが
わかったのです。
そこで今回は、
健常者として何食わぬ顔で
生きていこうとしたけど30年で限界を感じ、
がっつり系アスペとして
生きていくための道しるべを見つけるまでの
由紀子ストーリーをお伝えしたいと思います。
スポンサードリンク
周りと違う…自分の謎
発達障害はとても分かりにくい障害です。
社会を生き抜く中で
”障害”となっている部分が目に見えるわけでもなく
数値で表せるわけでもありません。
けがや病気のように
どストレートに症状として
出ない場合も多いため、
私がこれまで抱えてきた
障害の特性というのは
「自分の性格のせい」だと思っていました。
例えばアスペルガーの特性として
代表的な”コミュニケーション”について。
私はある特定の場面においては
人とも問題なく話すことができるし
コミュニケーションも取ることができます。
ただ、
少しでも自分が苦手とする条件に
当てはまってしまうと、
途端にどのように言葉を
発すればよいのかわからなくなってしまうのです。
▼例えばこんな時▼
クラスの中では一番といっていいくらい
目立ちたがり屋でよくしゃべる人間だったけど
他学年の子とは話せない、
中途半端に知っている人
(友達の友達やたまにしか合わない親戚など)と
どのように話してよいのかわからない、
道ですれ違う近所の人とは挨拶できるけど
朝の集団登校の集合場所となっていた
家に住んでいるおばさんには
挨拶されてもいっさい返さない
(おそらく自分の中の何かのルールがあった)など、
独特のこだわりや障害特性の中で
生きてきたのです。
こういった
”人とうまく話せない”だとか、
”友達作るの苦手”というのは
アスペルガーではなくても
比較的誰にでも言えることで、
自分の周りにも
同じようなことを公言して
悩みとして掲げている光景を
たくさん見てきました。
なので、
私の中にあった
”対人”に対する生きづらさも
克服できるものとして
これまで努力を続けてきたのです。
おそらく私の
コミュニケーションに対する恐怖心は
対人恐怖症レベルだと思うのですが、
「上手に話せないなんて…こんな性格変えないと!」
「まだまだ努力が足りない!…喝っ!」
などと、
無駄に自分に対してスパルタになっていました。
ただ、
どれだけ努力しようとも
一向に周りのみんなと同じように
楽に会話を楽しめるようにはなりませんでしたし、
自分と同じように
人見知りで悩んでいる人を観察してみても
自分とは”人見知りレベル”が違いすぎると感じ、
孤独感を覚えることも多々ありました。
(だから「私も人見知りなんだ~」という言葉を聞いて親近感を抱いても、よくよく様子を観察してみると、「お前全然人見知りじゃねぇじゃん、普通にしゃべれてんじゃん!」そのように思って静かに憤慨していましたが、”ただの人見知り”じゃないのは周りの人ではなく自分だったわけです…笑)
できない自分に対する劣等感
そんなこんなで
「人間であればできて然るべき」
とも思っていた
会話をはじめとする
”コミュニケーションをとる”
という技術ですが、
私にとってそれを行うことは
容易なことではありませんでした。
また、
社会人になって仕事をするようになってからも
細かい部分が気になり
作業が人よりも遅いという弊害が出て来るようになりました。
「商品にゴミがついていたら不良品にしろと言われたけど、このほこりレベルのゴミっぽいのはどうなんだろう…前回は良いって言われたけどもしこれが出回って被害が出たらどのようにお詫びをすればいいんだ…」
工場で検査係をしていた若かりし頃の由紀子は、
良品・不良品の判断をするにも一苦労で、
上記のような葛藤を1日に何度も
そして毎日のように繰り返していたのです。
ただ、
それもこれもすべては自分の
努力不足、要領の悪さが原因だと思っていたので、
人一倍劣等感を抱きやすい私は
「仕事ができない自分・根暗な自分は恥ずかしい人間」
このように思い続けて精神と体力を消耗していたわけです。
スポンサードリンク
闘いを挑む畑がそもそも違っていた
ただ、
こういった人生を歩み続ける中で
徐々に「努力ではどうにもならない何か」に
気づきはじめました。
その何かが
”発達障害”だったというわけです。
ASDであるという診断を受けてからは
これまで続けていた
「何食わぬ顔で一般人面をして生きていく努力」をやめ、
自分の感性を生かすような生き方を
送っていきたいと心新たにしたわけです。
つまりこれまでの私というのは
コミュニケーション能力に対して
なんの障害も抱えていない人と同じように
会話をできる事を目指すなど、
そもそも闘いを挑むフィールド自体が
違っていたというわけで
そこからは一旦離脱しようと考えたわけです。
じゃあ、
今後の私の人生どうするのか?ってことですが、
正直私は健常者の考え方を学び
そこでどのようにすれば
うまく生きていくことができるのか
だとか、
コミュニケーションの取り方を学び
円滑な人間関係を築こう
などという努力を
これから先も行っていこうとは
思いません。
こういったことは
これまでの人生の中で
既に実践済みですし、
”周りに合わせて生きることの息苦しさ”
に耐えかねてアスペ全開を決意したわけなので。
ただ、
人一倍不安が強く
こだわりも強い私が
たとえコミュ力ゼロといえど
一人で自分の進むべき道を
切り開いていくというのは困難なことです。
生きているだけで
様々な不安が降りかかってきますし
それに乗じてメンタルバランスも
崩れやすい状態と常に隣り合わせなわけです。
そこで私は
発達障害コンサルなるものを
受けることにしたのです。
自分本来の感じ方を取り戻すための発達障害コンサル
-
障害について話せる場所
-
的確なアドバイスを得る
-
自分自身を知る
スポンサードリンク
コメント
[…] 音声で触れている由紀子さんのブログ記事 https://tokyo-asobu.com/hattatu-keido/ […]